叔母が転送された大学病院は、私や子供達を救ってくれた、この市町村では救急基幹病院としても大きな役割を担っている病院である🏥
叔母は回復して、「心配かけてごめんね~」とでもを言いながら姿を見せてくれるだろうと思った。
翌日私は出張で、帰路夕闇の中を歩いていた🌆
あと3分で子供達が待つ実家に着くところで携帯電話が鳴った。母からだった。
はっきりとは覚えてないが、「今夜8時過ぎから医師の説明があるから病院に来て欲しい」と叔父から電話が有ったと云った内容だった。
そこからは、自分や家族にどんな食事を提供するのか、保育園へどう送迎したのか等々の記憶は全く無く、ただただ叔母の容態の事しか覚えていない。
夜8時に行くと云うことは、4歳と1歳8ヶ月の娘達を置いていくということだ。夫にも連絡したが時間が間に合わない。
実家に同居していた義妹がキッチン越しに「お姉さん、行ってきて下さい。私が見ますから、大丈夫ですから」と、義妹もこらえながら言ってくれたのを今でも思い出す。義妹だって、3歳と7ヶ月になったばかりの息子二人が居るのに。
母と二人、車で病院へ向かった。夜の病院は人気が無かった。来るように言われた部屋の前でうろうろしていると、若い医師が部屋に通してくれた。パイプ椅子を来るであろう、叔父、叔母や母にとっての姉の分を用意した。
叔父が急いで神妙な顔つきで言葉少なに現れてから、直ぐに医師による説明が始まった。
心臓の絵が書いてある紙を示しながら
「劇症型心筋炎」であること。風邪の菌が心臓に入り込んだのが原因とのこと。
そして、「劇症型心筋炎にかかった例は、国内で7名、その内5名をこの病院で治療に当たった。3名が回復したが、2名はお亡くなりになった」と…そして、その3名は体力があり、叔母より若い年齢だった。
私達は回復する道を選んだし、絶対に回復することを願った。
明るく屈託のない、様々な困難に堪えてきた叔母は、絶対に復活するに決まっている❗としか思えなかった。
夫である叔父はもちろん、姉妹である母も、そしてもう1人の叔母も同じ思いだった。(続く)
9月10日十五夜は満月でした🌝