魂は…②

 叔母と海外に出掛けたのは、これが最初で最後だった。オーストラリア、シャルレの海外セミナーツアーへの参加🇦🇺

私は入賞し、初の海外セミナー参加で、3歳の長女と7ヶ月の次女をおんぶして、この際、家族皆で行こうとなり、当時社長である母、父と主人も加わった大旅行となった👩‍👩‍👦👨‍👨‍👧(我が社は、父母、叔母、私のファミリーカンパニーなのだ)

叔母もかわいいチビッ子二人の参加をとても喜んで楽しみにしていた🎶

 3月2日に帰国、楽しい珍道中だった✈️💕が、54歳の叔母は日頃の疲労と旅の気疲れと、帰国するや否やの介護でかなり疲れていた😖

 帰国し、介護で2、3日して叔母は事務所に顔を出した。

オーストラリアのお土産を事務スタッフに渡したり、自分自身に購入したGUCCIのシルバーの指輪を嬉しそうに見せたりした✨

そのシルバーの指輪はシンプルで、私の好みだったので「チョッと着けさせて❗」と貸してもらうと、やっぱり私にぴったんこ❗❗

「この指輪、飽きたらちょうだいщ(゜▽゜щ)」とおねだりした😁「いいよ👌」と言ってくれると思ったら、「ダメ~❌棺桶に入れてあの世でも着けるんだから❗」と断られてしまって、残念に思ったことを覚えている。

 3月半ばの寒々とした今にも雨が降りそうな朝だった。叔母が事務所に顔を出した。

よっぽど大事な用事だったのだろう…さっさと用事を済ませ「何だか風邪みたいだから帰るね」と言った。「送ろうか?」と聞いたが「チビがいるから」といった理由だったと思う、断られた。

あの時に強引にでも送っていってあげれば良かったと、今でも後悔に苛まれることがある…

 病院嫌いの叔母は、自宅に残っていた息子の風邪薬を飲んで、回復を願っていた。夜から飲む薬が無くなったので、息子の通う小児科へ処方箋をもらうつもりで出掛けた💊

小児科の先生は見逃さなかった。叔母の診察をし、心電図を施した。心拍がおかしい…「今すぐ、大きな病院に移るよ🏥」と救急車での搬送をすすめた🚑️

夕方、叔母の家族からの連絡で、私と母は叔母が運ばれた大学病院を訪ねた。6人か8人部屋だったか、入り口直ぐのベッドに叔母がいた。

叔母はここまでの経緯を話し「心筋炎かもしれない」と言い、「お願いだから、誰にも言わないでよ❗直ぐに良くなるから、皆に心配かけたくないから絶対に言わないでよ❗❗保育園のお迎えもあるんだから早く帰りな」と念押しし、入院している姿を見られるのが恥ずかしいとでも云うように。

「分かったよ。お大事にしてね。何か欲しいもの有ったら持ってくるから」と男ばかりの叔母の家族を気にして、そう言って病室を後にした。

 翌日、よく晴れた小春日和だった☀️本格的な春の訪れが待ち遠しい日差しが、事務所に射し込んでいた。

秘密にしなければならない『叔母の入院』

他の事務スタッフにも、もちろん内緒だ。

お昼休みに電話が鳴った📞たまたま私がとったその電話は、叔母の入院先からだった。

「ご家族の何方とも連絡がつきません。なので、そちらに電話しております。関係者ですか?」と云うので、「そうです。姪です。姉になる母は今席を外してますが」と答えた。

「そうですか。こちらの病院で対応出来る機器を備えていないので、◯◯大学病院に転送したいので、許可をいただきたいのですが」とのことだった。

えっ⁉️私が判断して良いのか(・_・?)

「私が許可して良いかどうか迷いますが、それなら仕方ありませんね。私の方でも家族に連絡取ってみます」と言うと「お願いします」と、電話を切った。

私は叔父と母に何度も電話をした。叔母の息子達は学生だったので、繋がらなかった。叔父と母に電話をしている間に、病院から掛かってきた。とても急いでいる様子で「至急、転送します。姪っ子さんの許可で良いと云うことで、転送します。また連絡します。ご家族と連絡をとり続けて下さい」と言われた。

とても緊迫し、私は呆然となった…直ぐに母が帰ってきた。(つづく)


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今日は叔母の誕生日🐅