介護への関心が高い事が分かりました❕ブログに父の介護記録を書いて多くの方がご覧になって下さいます。お読みいただき有り難うございます🙇
何故、父の介護記録を書いたか?
それは、介護される人の生活も介護する人の生活も守られるべきだと痛感したから❗87歳の父と51歳の私。父はコロナ以前から終活を意識しつつも、毎朝近所の方とラジオ体操をし、家の周りを掃除しゴミ出し、犬の散歩をしてから、俳句だコーラスだと毎日の様に出掛けていたアクティブシニア👴私は三人の子育てをしながら会社経営、毎日バタンキューの生活💦
父も最後まで家族に迷惑を掛けすぎず、好きなことをして生きたいし、私も離職せず、子供達の成長をサポートしつつ、まだまだやりたいこと沢山✨いずれ父母の介護生活がやってくる覚悟はしてたが、こんなに加速して訪れるとは😅
日本は世界で断トツの超高齢化社会に突入‼️避けられない現実😱ならば、少しでも前向きに😆
介護をする方々に、少しでもシェア出来たらと云う思いで書き始めた✏️
さて、前回の続き😁
入院して2週間程経った12月中旬🎄父の病院に役所から介護認定調査の方が訪問することになった。要介護1のままではいられないからとケアマネのご配慮。
コロナ禍で全く面会出来ない中、久々に父に会えるチャンスでもある❗10分間と短い時間だが、看護師さんの案内で調査員、母と私が父の病室に通された🏥明るい個室ではあるが、点滴と拘束帯と繋がっていた。
父は、母と私を見るなりしゃがれ声で「本物?」と確認した(笑)会いたかったのだろう😂再会を喜ぶ間もなく、調査員の方の審査が始まった。
「今どこに居るか分かりますか?」「今日は何日ですか?季節は?」等々。父はゆっくりだけど、真摯に応えていたので、症状は落ち着いてきているのだろう。
私は父の様子と手足を見た。痩せていた。髭も生え、髪の毛も伸びている。入院するなんて思ってなかったから、近所の床屋さんに私同伴で父を連れていっても良いと許可をもらった矢先だった✂️💈早く連れて行けば良かったな…
病室は三人以上だから密と言ったら密😅看護師さんの「時間ですので」コール。コロナ対応病院に指定されているのもあり、病院のピリピリ感が伝わる😵
「父さん、またね✋頑張ってね❗」と、次いつ会えるか分からない別れ…「年明けに審査結果が郵送されると思いますので」調査員の方は病院を後にした。
コロナで面会できないので、母と私は少しでも父の様子を聞きたいと思い、忙しそうな看護師さんをつかまえて様子を聞き、担当医を待ち話を聞いた。
年明け、松の内が明け行政が動き出した頃、介護度変更の知らせが届いた📭️「介護3くらいかなぁ」と思いながら封を開けると、なんと❗介護5😲えっ⁉️いきなり?そんなに酷いってこと❔あの時調査員の質問にゆっくりではあるけど受答え出来てたよね?
調査員の方は、私達と会う前に担当看護師さんから事前調査をしていたのだ。総合的な判断で、「要介護5」なのだ。
その後父は、クリスマス、年末年始、誕生日をこの病院で過ごし、2か月後、認知症に特化した病院に転院することになる♿🏥
次回の介護編は転院について書こうと思います✏️
夜明けの来ない夜はないと信じてる☀️まだまだ、コロナで医療は逼迫している。緊張が張り詰めたまま、日々働き続ける医療従事者、介護従事者、関係者の方々への敬意と感謝が薄らいではならない。ただでさえメンタル面が心配なのに、前線の方々のメンタルは大丈夫かな…
一日も早く収束しますよう祈るばかりです🛐